■■ ミャンマー通信:ミャン坊マー坊天気予報:第7回 ■■


「情けは私のためならず」

前回に引き続き、鹿児島大学の国際協力農業体験講座でのお話です。鹿児島大学は正
規のカリキュラムということで、私も何度か講義をさせていただきました。その中で
「国際協力」についてという講義をさせていただきました。NGOの職員である私とし
ては得意分野ですが、その中で少しボランティアについて言及しました。

私のボランティア論ですから、様々な異論もおありだと思いますが次のような要旨の
話をしました。「非常に困難な状況の人のことを知ってしまった。『知ってしまっ
た』ただそれだけだ。あとは見て見ぬ振りをするか、しないかはその人の心の持ちよ
うでしかない。見て見ぬ振りができないならば手を差し伸べるしかしょうがないの
だ。それは、そうしたから偉いというものではない。見てみぬ振りをするほうが賢い
のかもしれない。それができない自分の心が不器用なだけなのだ。でも、私はその不
器用さは嫌いでないからこんな仕事をしているのだ。」何処まで学生に通じたか判ら
なかったですが、まじめに聞いてくれてはいました。

今回学生はナウンカ村にホームステイをしましたが(前号参照)、昼間に団体行動でデ
モファームを見学しました。その際に、村の人に村の牛車でデモファームまで送って
もらいました。移動手段のタクシーなどがありませんからこちらから要請したので
す。当然費用は自己負担するつもりで予算計上していました。後でお金を払おうとす
ると村のリーダーが言うのです。「これは村の務めである。鹿大生たちは村の子供だ
から、村の子供を村の人が送ったのだから子供からお金は取れない」というのです。

デモファームから隣村の僧院へ表敬訪問をしました。僧院ではこの地域で大きな尊敬
を受けているお坊さんに学生に対して本当によい話をしてもらい、村のトラクターで
ナウンカ村まで送ってもらいました。ここでも、移動手段がないので予め有料で送っ
てもらうように手配をしていたのです。村まで帰ってきてドライバーの人にお金を渡
そうとしたら受け取らないのです。「用意していますからどうぞ受け取ってくださ
い」
という私たちに「皆さんには私の村の僧院まで来てもらったのですから、それだけで
有難いのです。ですから、こうして送るのは私たちの感謝の印です」と受け取っても
らえません。

この日解散の前にこの二つの出来事について学生たちに伝えました。みんな神妙な趣
で聞いていました。

さて、鹿児島大学のツアーが終わるころ、村人のお陰で予算計上したお金が何かと
余ってきました。もともと学生は実費で参加しているので、余ったものは学生に返さ
れます。「みんなよかったね」と思っていたところに今回のリーダー格の男子学生が
私のところにやってきました。「大野さん、みんなと話し合ったのですが、私たちの
残ったお金は私たちが見学した学生寮のトイレの改築費用に当ててほしいと思うので
す。だれもがその残ったお金をこの地域の役に立てるように恩返しをしたいと思って
いるのです。」

牛車の村の学生への気持ちもトラクターの村の学生への気持ちも、学生たちには充分
に伝わり、この二つとは関係のない違う村にある高校生寮の朽ち果てそうな貧しいト
イレの改築に生かされます。人を思う気持ちはこうして循環して自分のところに来
て、また他の人のところに行くのです。そういうことを体感し、感じ取ってくれた鹿
児島大学生たちはいい体験をしてくれたと私は思いました。鹿児島大学のリーダー格
の学生は最後に私にこういいました。「大野さん、僕たちは寮のトイレのことを
『知ってしまいました』からね。」その言葉を聴いて、私自身も嬉しい気持ちにな
り、また学生たちに有難い気持ちになりました。情けは人のためでなく、人のためで
もあり、私のためでもあり、私のためでもないのだ、と感じました。

大野  拝        (第7号 了)




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